「26歳、生きている意味が分からなくて死ぬ」

 私は、創作では自殺を持ち出さないことにしています。
 それは、語り尽くせない深遠なテーマであるにも関わらず、創作の世界では余りにも手垢が付きすぎているからです。「死んだ親友の記憶を抱える主人公」「恋人の自殺を巡る謎」こんな話は、市場に溢れかえっています。迂闊に創作に死を取り出すのは、実際には死に得ない彼らの存在を軽々しく扱ってしまうことになりますし、そうした多くの作品と一線を画すには、相当の技量、或いは、別の読み味が求められます。ですから少なくとも「死」についての深い実感なり考察なり、何かの手応えを得られない限り、私は自殺を扱った作品の筆を取る気はありません。
 だから私の先輩が、「私は26歳までに死ぬ」と宣言しなければ、こんなブログを書くこともなかったでしょう。

「26歳、生きている意味が分からなくて死ぬ」
 先輩によると、出自もよく分からない占いで、そう告げられたようです。どうして、そんなことを笑い飛ばさずに信じて、本気で実行するつもりなのか。この前、先輩に会いに行ったのも、その理由を確かめたかったからです。

 その前も、想像はしていました。
 先輩は結構な変わり者ですから、そのせいで嫌われたことも多かったのかもしれません。歯に絹着せぬ物言いで、人間関係に亀裂を走らせたこともあるのかもしれません。発達障害を抱えているから、生きにくさを感じる局面も多かったでしょう。或いは、家庭環境に問題が、という想像をすることも出来ます。

 でも、明るくてフットワークが軽く、冗談を飛ばす姿からは、世の中に悲観して自殺をするような姿が結びつかなかったのです。生きにくさを克服するには充分なくらいの容姿も賢さもあり、異性から愛された経験も少なくはなさそうです。クセは強い人ですけど、それが先輩の個性ですし、私はそこが良いとも思っています。

「生きていて良かったって、あんまり思ったことがない」

 ですから先輩の言ったこの言葉が、私にとっては衝撃でした。

「25まで生きていて、これがあったから生きていて良かったと感じたことがあまりない。だからこれからも、そんな、起こるか起こらないか分からないようなことを期待して、生きて、恥を晒したくない」

「死んだ後に、『もし生きてたらこんな良いことがありました』と言われたら『死ななきゃよかった』と思うかもしれないけど、起こるかも分からない良いことを信じて生きるのは嫌だ。希望は見ないタイプだから」

 私は何も言えませんでした。上滑りしない反論が、出てこなかったのです。
「何のために生きているのか」という問いだけならば、先輩は充分な答えを持っていたでしょう。
 安定した仕事のあること、趣味が豊富なこと、叶えたい目標があること。
 先輩にはそれがちゃんとあります。余程の上層階級の中に放り込まれでもしない限り、肩身の狭さを感じないくらいの大学と会社。そこに属しながら持ち続けている、小説家になりたいという夢。生きる意味がないと言う人の多くが、持ちたくても持てないそうした夢はしかし、先輩の生きる力の源泉にはならないようです。
 結局「何のために生きているのか」という問いの答えすら、何一つ、先輩の生きにくさを救ってはくれませんでした。

 死にたいって言って、周りの気を引きたいだけじゃないの、なんて言う人もいるかもしれません。どうせ本気じゃないよ、そんな奴のことなんて放っておきなよ、と。
でもきっと、その誰かは分かっていないのです。自分と相手の感覚がズレていることに。自分は見過ごせること、自分は当たり前に出来ることが出来ない別の誰かが、どんな風に感じるかということに。
 先輩は自分のことを、「右手左手ではなく、左手が二本生えてる右利き」と表現していました。ある程度のことならこなせても、特定のことになると途端に難しくなり、ミスを連発する。「右から生えた左手で、普通の人と同じ右腕の動きを求められている」感じで、右に生える左手なんて存在しないと思っている周りからは、「しっかりしていない」と思われる、と。
 人の話を聞いて要点をまとめ、忘れないでおくこと。世間で話題になっているものに、同じように関心を寄せること。納期に向かって計画を立てること。約束に遅れないこと、期限を守ること。
「社会人として当たり前」と世間が言うようなことをするのが、先輩にとっては難しいのだと思います。出来るだけ努力をしてみても、どうしようもなく疲れて、会社に行くだけでエネルギーを使い果たし、家に帰ったら充電が切れたように眠ってしまうと、先輩は話していました。

 「障害」という言葉に落とし込んで同情されることを、先輩は望んでいないでしょう。擁護されたいとも思っていないはずです。
 ただ、「違う」というだけで生きることがどれほど大変になるのかということに思いを馳せた時、苦いものが込み上げてきました。

 今まで想像していた「死」とは、いじめや借金などあらゆる不幸が目を塞いで、窒息したまま選んでしまうようなものでした。
 それ以外に、落とし穴のように口を開ける死を初めて目の前にした時、他者の生に何処まで干渉できるのかという問いの前で、私は立ち尽くしてしまいました。
 手放しに気持ちを伝えるだけで良いならば、生きていて欲しい、と言えるでしょう。
 先輩とこれからも話したいから。私にとっては、大切な友人だから。
 でもこの気持ちを押し付けるのが正しいことなのか、私には分かりません。
 先輩にとって「生きる」ということは、身体をあらゆる方向に曲げて、「普通」とラベルの付いた箱に無理やり押し込められる行為なのです。「たった48時間の自由を得るために平日5日間を全部犠牲にする生活」を続けることなのです。
 あの方の感じている深い絶望を、多少なりとも知ることが出来た分、死なないで欲しいという言葉が、如何にも虚しく感じられてしまいました。

「ありがとうと言われた回数よりも、申し訳なかったと頭を下げる回数の方が多い人生だった」

 そんなことを言われたら、これからは楽しいことがありますよなんて根拠のない言葉、口が裂けても言えないじゃないですか。

 結局私には、友人の生きにくさを砕くことは出来ませんでした。
 何も、一番近くにいたいとか、私のために生きて欲しいとか、そんなドラマのようなセリフを吐くつもりはありません。
 ただ、時折ご飯を食べながら楽しく時間を過ごせる、せめてそんな一友人として、あの人の支えになりたかった。
 仕事がつらくとも、休日にはあの子と会うからちょっと頑張ろうかなとか、そんな風に思ってもらえる人になりたかった。
 でも先輩にとっての私は、それくらいの価値も持てないのでしょう。私に人としての魅力が足りないせいなのか、先輩が、友人よりも孤独を愛する人であったためか。おそらくそのいずれもなのでしょう。
 私は、そんな存在になるには色々なものが足りませんでした。そのことを、深く反省したりもしましたが、私一人が何かを得たところで、果たして何かは変わったのでしょうか。
 
 私は人様の形をしただけの泥人形だ、と、先輩は言いました。
 先輩は、先輩自身が絶望しているほどどうしようもない人間ではないと、私が言ったところで、「そうかな」と首を傾げられるだけでしょう。
 生きにくさを抱えていても、この世の楽しい部分に目を向ければ、生きられるのではないでしょうか――そう言っても、「自分を変えるくらいなら死ぬ方が楽」と、言われてしまうのでしょう。
 生きてください――そう伝えることは、生きにくさを我慢し続けることを強いてしまうのでしょう。

 友人として、私が出来ることは何なのでしょうか。

 現在25歳の先輩の決断に介入することは、私には出来ません。だから先輩が悲しい道を選んだとしたら、せめてこの世に先輩という人間がいたことを、いつまでも覚えておこうと思います。でももし、この世に残ることを選んでくれたなら、またいつものように連絡を取って、一緒にご飯に行くでしょう。