集団での会話は大繩である

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 一対一ならあまり感じないが、集団で会話するのは、どうしてあれ程に難しいのだろう。
私は、5人以上の会話が苦手だ。7人以上になると、もうまともに発言出来ない。特に飲み会の会話が難しい。あの乱れきった交感神経を刺激する面白いことなんて言えないし、言おうとしたところで、飲み会オモロ裁判でGuiltyの判決が下されるのみである。コミュニケーション能力にも色々種類があるが、知らない人に話し掛けるよりも、飲み会の盛り上げ役になる方が難しいと個人的には思う。

 そもそも、会話の性質が違うのだ。一対一の会話がキャッチボールなら、集団での会話は大繩だと思う。縄を回す人が一人か、或いは二人くらいいて、あとの人たちは次から次へと縄の中に入っていく。私はいつも、そのタイミングが掴めない。縄をぐるぐると目で追っているうちに、時間がどんどん経ってしまう。親切な人が「おいでよー」と誘ってくれて入れてもらえたとしても、足を引っかけてしまいそうで怖いのだ。

 キャッチボールなら出来るし、お喋りは好きな方だとも思う。ただ、自分以外の人々が仲良くしている集団にたじろいてしまうのだ。「皆が聞いているからには面白いことを言わなきゃ!」と思うくせに、面白いことを言うスキルがないので、黙ってしまう。
 「面白い人間」というのは大まかに二種類いる。その場の空気に合わせて「面白い発言」が出来る人間と、存在そのものが「面白い」人間。ズレを指摘できる人間と、そもそも性格がズレている人間だ。お笑いならば、前者がツッコミで後者がボケだ。まあ、お笑いのボケ芸人のズレはあくまで売り物なので、素の人格の話ではない。
ではこのボケとツッコミが、ピンで飲み会に出たとしたらどうだろう。ツッコミならば、周りの話に、熟年の柔道家が瓦を割っていくように次々と突っ込んで、笑いをかっさらうことだろう。スキルの高いボケならば、陶芸家が練り上げた陶器のように完璧なエピソードトークをすることで、ドッカンドッカンやるだろう。

 

 私が上手い会話が出来ないのは、ボケているくせに、ボケが持つべきスキルがないせいである。まず必要なのは、溢れるオモシロエピソードと巧みなトークスキルだろう。それにあともう一つ加えるとすれば、「ボケの操作性」だ。

 私が思うに、意識したボケというのは最強である。彼らの手の内にはオモシロの全てが握られており、指を握ったり開いたりするだけで、周りの笑い袋が地雷のように炸裂するのだ。一方、「天然」というのは悲しき存在である。奴らは、偶発的にしかオモシロを生み出すことが出来ない。彼らの生み出す笑いは神が作り給いし原石であるが、蓋然性が低いという不幸を内包する。

 要は、操作できないボケは、その場にいる人間に面白がってもらうことでしか存在出来ないのだ。周りの人間が面白さに気付かない限り、そやつはただのズレた人間である。ズレているから、フツーの会話に参加しようとしても、ぐっちゃぐちゃにして終わる。

 私が天然由来のボケなのか、それとも「平凡」と「アホ」のキメラなのかは判然としないが、一つ確かに言えることは、私は自分のズレを操作できないということだ。多分、このズレを変幻自在に出し入れできない限り、私がコミュニケーションお化けに生まれ変わることはない。

 

 だが困ったことに、私のコミュニケーション能力は、人体感知センサー搭載型である。受け入れてくれそうな集団を感知すれば自動的にオンになる一方、それが分からない環境では、いくらリモコンをガチガチやっても入らない。自動ドアが手動では開かないようなものだ。立っているのが、強盗ではなくただの客だと目で分かっていても、操作を変更できない。

 

 でも、大繩の会話も出来るようになりたいのだ。何なら、三重飛びのようなエピソードトークも出来るようになりたい。どうしたら、そんな面白い人間になれるのだろう? 面白ければ、初めての環境であろうと、自分以外の人々が仲の良い空間であっても、気軽に受け入れられることが出来るだろうに。

 だが残念なことに私は、既存の集団の会話に入ることが出来ないタチのようだ。全員が初めましての環境ならまだしも、既に形成されているコミュニティーに新参者として入る時、したくもないのに物怖じしてしまう。

 

 バイト先の塾も、そんな躊躇いのあった集団の一つだ。別に仲間外れにされていた訳ではなく、飲み会にも行ったし、泊まりでボードゲームをしたり、ボウリングに行ったこともある。だけど、私と皆よりも、私以外の皆の方が仲が良かったせいか、最後までこの集団の一員だという実感が持てなかった。私は中心メンバーにはおらず、いつも「~日に行くんだけど空いてる?」と誘われる方だった。スキー旅行にも誘われたけれど、輪の中に入る自信がなかったので、理由を付けて断ってしまった。

 別に、バイト先の人たちが悪かったわけではない。誘われたら嬉しかったし、もっと仲良くなりたいとも思っていた。だから、「どうして積極的に輪に入っていかなかったの?」と聞かれたら、答えられない。ただ、飲み会に行っても置物になってしまうことが分かりきっていた。楽しく話している人たちの横で、挟める言葉を見つけられないでいる自分がいた。何処か、皆と自分の距離は遠いような感覚があり、何をすればそれが埋まるのか分からなかった。
親しみを表す発言は、親しくなければ失礼に受け取られる。他の誰かが言えば笑って受け流されるような言葉も、私が言うと、失礼に取られるのではないかと思った。怖くて踏み込めないまま、距離は広がった。そのうち、私以外の人たちが、私を交えずに集まっていることを知った。

 何かを割り切って淡々とバイトをするようになり、遂に引退という送迎会の時。あっさりと終わるのだろうと思っていたが、思いがけず、後輩たちから口々に言われた。
「篠宮先輩がいなくなってしまうの、寂しいです!」
「またいつでも、この塾に遊びに来て下さいね!」
「待ってますから!」
 後輩たちは皆寂しそうな顔をしており、中には泣いている人もいた。「ありがとう」と言いながら、私は驚いていた。本当にこれは、私のために流された涙だろうか。もし――もしそうだとすれば、大して面白い発言など出来なかった私を、どうしてそんなに慕ってくれているのだろう。いつの間に、私のことを受け入れてくれていたのだろう。

 そういえば、私の話に「面白いですね」と笑ってくれたことはあった。「一緒に飲みに行きたいです」と話しかけてくれたことも。だが私は、タイミングが見つけられなくて、或いは忙しくて、或いは、どうせ上手く話せないからと思って、一度も誘ったことがなかった。

 

 もしかすると彼らは、私が大縄に入れずにたじろいていた横で、もっと小さい縄跳びで遊ぼうじゃないかと、私に呼び掛けてくれていたのだろうか。

 

 初めてそう気付かされ、猛烈な後悔に襲われた。もっと後輩と話をすれば良かった。自分から飲みに誘ったりもすれば良かった。そうすればいつかは人体感知センサーのロックが解除され、普通に話せる日が来ていたかもしれない。自分が組織の一員でないかのような実感も、味わわずに済んだかもしれない。

 

 それに最後まで気付けなかったことが悔しく、やるせなかった。
自分の存在する意義は、親切な他人に作ってもらうものではなく、自ら少しずつ積み上げていかねばならなかったのだ。

 

 社会人になっても、相変わらず集団での会話は苦手のままだ。少しはオジサンのユーモアにも慣れて、時折ドッカンドッカンを出来ることもあるが、やはり取り残されることはしばしばある。新人なので、あまり喋ると出しゃばっているようにも見えるし、かといって黙っていれば気を使われてしまう。その匙加減が分からなくて、また、やはり口を開けば失礼を働いてしまうのではと怖くて、一層喋れなくなってしまう。
そうして周りの賑わいに取り残されている時、私はこの塾のことをよく思い出す。その度に、胸の奥には濃いコーヒーのような後味が広がって切なくなる一方、目の前の大繩から眼を逸らさずに、ちゃんとタイミングを見て入ろうと思うのだ。