誕生日サプライズの後日談と、好きなものについてのとりとめもない日記

昨日は、誕生日サプライズがいかに弊害をもたらすかという記事を書いた。

 

https://mikotoshinomiya.hatenablog.com/entry/2020/02/15/001000

 

この記事の後日談なのだが、15日、私の家族と祖母とで集まって誕生会をした後、9時くらいに解散して、友人の家に向かった。友人は男三人でシェアハウスをしており、月に一回、その古民家風の家で読書会を開催している。今月は祖母との誕生日会と重なってしまったが、私はアホなので「その後行けばいいじゃん!」と思って向かったのだ。行ってみたら、本の話をする時間はとっくに終わっていてGantz鑑賞会になっていたのだが、そこでいきなり電気が消え、チョコレートケーキが運ばれてきたのだ。

 

「光琴誕生日おめでとうー!!!」

 

えっ、何これ。ホワイトチョコレートで作られたプレートには、私の渾名が入っている。得意気な友人たちの顔が、ロウソクの光で照らされていた。

えっ、まさか私のために⁉ 全ての感情が、蓋を開けたスパークリングワインの泡のように、弾けて溢れ出していく。ついでに感激のショック療法で、日頃の仕事のストレスも全部ぶっとんだ。

 

単純で申し訳ないが、やはり、誕生日サプライズは素敵なものだと思った。あまりにも単純すぎて申し訳ないほどだが、やはり自分がされてみると嬉しい。こんなに幸せなことがあっていいのか。何なんだ「予定調和のありがとう」って。いつまでもサプライズを驚けるくらいの純粋な心と、多すぎない友人がいれば良いだけである。

 

こういう場で自分の幸せについて話すのは良くないだろうが、この出来事を通じて、誕生日サプライズについてはちょっと考えが変わった。今日という稀な一日のためなら、たとえ悲しみというリスクを負っても構わない、と思うほどに、特別な日になった。やはり持つべきものは友人である。性格の合わない恋人と、気の合う友人なら、個人的に欲しいのは断然後者である。

いや、訂正。やはり恋人は欲しい。自分の好きな人間と特別な関係になれるのは、純粋に素敵だ。ただ、好きな人間との関係の最適解が「恋人」であるとは限らないし、「特別な友人」というのもまた存在すると思うが、恋人は恋人でたぶん良いものなのだろう。

それに彼氏さえいれば、職場のセクハラ人間を一発で撃退出来て便利なのになとも思う。「私には彼氏がいませんが、あなたには興味がありません」ということを、相手を傷つけずに言うのは難しい。それが出来る人間がいたら、よほど誠実か、何らかの形であなたのことを大切に思っている証拠なので、自分の告白が断られた一時の動揺なんてすっとばして、末永く仲良くするべきである。

セクハラ人間には私なりに言葉を尽くしたが、諦めてくれたかは分からない。まあそれよりも、同じ課の女の上司に嫌われていることの方が困っており、正直、セクハラ人間は困り事の二番手である。ちなみに前にブログで書いた上司は、私とは反りが合わないものの尊敬できる人なのだが、この女上司は仕事と私情を分けて考えることが出来ないため、嫌われることによって仕事に差し支えを生じさせてしまう。無自覚の内に嫌われる理由を私が作ってしまったのか、人が話している最中にコピー機に伝票を取りに行くほど忙しいのか知らないが、私が話し掛けると、嫌いなものを無理やり食べさせられているような顔をするのだ。話し掛けても「忙しいので」と、要件を言う前に打ち切られてしまうし、大量に印刷をかけなければならない資料を、会議の直前になるまで渡してくれなかったりして、非常に困る。

11月あたりから、業務量に関することや仕事内容で生じるストレス、こういう諸々のストレス、自己肯定感の下落が原因で、仕事をしているとじんましんが出るようになってしまった。下腹部から太腿に至るまでの広範囲で、かきむしるのを我慢できないほどである。しばしばトイレに立って全身をかきむしっているのだが、そうしている間にも順調に仕事は溜まっていく。ベルトコンベアーで流れてくる弁当に、ひたすら梅干しを詰め続ける仕事と一緒だ。私がいない間にも、ベルトコンベアーはひたすら流れていき、私がいなかったところの弁当には梅干しが入れられなくなるのである。

 

ところで、先日書いた記事を読み返してみて、ひねくれてるな~と思った。こういうひねくれめの記事を書いたのは、尊敬するライターの影響かもしれない。その人のことは尊敬しているし好きなのだけど、性格がひねくれていて、私はその人へのリスペクトが過ぎるあまり、その性格の歪んだところまで自分の中に取り入れようとしてしまっている。この書き方では、「お前は本当にその人のことを尊敬しているのか?」と思われてしまいそうだが、そのひねくれている部分も含めて面白いのだ。ファンである。

私は、本当に「すごい!」と思う人間に出会った時、何でもその人の真似をしたくなってしまう。この人ならこう考えるのかな? とか、この人ならこんなことするかな? とか。まあそうして真似したくなってしまう人間が複数いて、その人間たちの要素と私の下地のちゃんぽんが現在の私なので、結果的に私は誰でもない。尊敬する人が一人しかいなかったら、ただの劣化コピーになっていたのだろうか。

 

この人について色々書くと、エゴサーチでこのブログに辿り着かれてしまいそうなので、今はしない。とはいえ、自分が一生その人に認識されずに終わるのも虚しすぎる。とはいえ、認識されるからには、何らかの部分で「この人はいいな」と思われたい。とはいえ、尊敬している人にすごいと思われたいなんて高望み過ぎるだろうか。と、「とはいえ」をずーっと頭の中で続けてしまう。結果、認識されたいぃ~

 

ところで、尊敬する人の尊敬する人として、小林賢太郎さんがいる。私も小林賢太郎さんが好きなので、小林賢太郎さんの話をしてお茶を濁そう。

 

知っている人には説明の必要がないかもしれないが、小林賢太郎さんはテレビにはほとんど出ないコントクリエイターである。コントクリエイター、というのは今考えた言葉だが、芸人という言葉があまりそぐわないのでちょうどいいだろう。美大を出ていて、現在はピンコントを中心に活動しているが、映像を使ったりアートを有機的に絡めるような舞台を作っているので、クリエイターという言葉がしっくりくる。

ピンコントも良いが、私が好きなのは「ラーメンズ」時代だ。片桐仁さんという、もしゃもしゃ頭の面白い人とコンビになっている。終始二人が大繩を回しているだけのコントとか、片方が竹馬に乗って無言の相方の周りをひたすら歌いながら回るコントとか、相方を標本にして新種の生き物のように語るコントとか、「新時代のオモシロ」を切り開こうとする強い意志を感じる作品が多い。創作されるのは単純な笑いだけではないから、必ずしも全部が観客にバカウケしているわけではないのだが、世の中の新しいオモシロの切り口にははっとさせられるし、その発見も含めて「おもしろい」。オモシロって、全てがゲラゲラ笑う種類のものではなくても構わなくて、「こんなことやっちゃうの?」という意外性も面白いし、「あ、こういう面白さがあるんだな」という発見だって面白いし、時には軽快な会話を聞いているだけでも面白い。そういう切り口をコントに落とし込めるのはすごいと思う。

二人とも演技があり得ないくらいうまいので、そこもまた見どころである。ちなみに全てのコントはYoutubeで配信されているので、誰でもすぐに見ることが出来る。

 

https://www.youtube.com/channel/UCQ75mjyRYZbprTUwO5kP8ig

 

このコンビのオススメコントをいくつか紹介しようと思ってYoutubeを見返していたのだが、無限に見てしまい小説を書く時間がなくなってしまいそうなので、今回は辞めておこう。好きなコントは各自で発見してもらいたい。フリーターになったら、めちゃくちゃ時間をかけて紹介記事でも何でも書いてみせるぞ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=tzWbdRU5QSc

路上のギリジン